三囲神社より北へ、約100メートル程行くと、
七福神の1つ、布袋尊(ほていそん)を
祀ってある弘福寺があります。
この寺は、黄檗(おうばく)宗大本山、
宇治の黄檗山萬福寺の末寺で、
同宗の名僧鉄牛(てつぎゅう)和尚により
延宝2年(1673年)に、創建されました。
同じ禅宗の中でも最も中国色の強い宗派で、
その建築も重層の屋根、
大棟の宝珠、鴟尾(しび)、
廂(ひさし)の蛇腹天井(じゃばらてんじょう)、
細棧の扉、両翼の円窓、
堂前の月台、柱にかかる聯額(れんがく)などを
持つ中国風の特色の多い寺院です。
境内右手の小祠には咳の爺婆尊(じじばばそん)の
石像を祀ってあります。
この像は寛永年間(1624~44年)に、
風外(ふうがい)和尚が真鶴山中で修業中に、
父母に孝養を尽せぬことをいたんで
刻んだものと伝えられます。
後に、弘福寺に移されました。
風外和尚の両親の像だから風邪にも強かろうと、
爺像は喉頭の病に、婆像は咳止めにご利益あると、
今でも風邪除けの信仰を集めています。
江戸末期の儒者池田冠山の墓碑など、
著名な墓も多くあります。
開山当時より江戸中にきこえた名寺で、
現在でも向島きっての名所となっています。
佐原菊塢の百花園に集う文人墨客らは、
禅宗に関わりの深い布袋和尚木像が本堂に
祀られていることに注目し、
隅田川七福神のひとつとしました。
弘福寺卍
03-3622-4889
布袋尊
布袋尊は、中国の唐の時代の禅僧で、
その名を契此(けいし)といい、
七福神の中ではただ一人の実在した方です。
額が広くてお腹は大きく、
いつも杖と大きな布袋を持ち歩き、
物を貰えばそれをこの袋に入れて貯え、
因る人がいると、その中から取り出して施し、
しかもなくなることがなかったといわれています。
そのため後には発財菩薩といわれ、
弥勒菩薩(みろくぼさつ)の再来ともいわれ、
世の人々からうやまわれ信仰されました。
無邪気で欲がなく、おおらかな性格と
あわせて子供達から人気があり、
幸せを願う世の人の共感を誘い、
七福神の仲間入りをしたものと思われます。
この世の幸福とは、
金銭欲や物欲を満足させることだけではない、
ということを教えてくれる神様といえましょう。